『自然欠乏症候群』(山本竜隆氏著・ワニブックス刊)という本を読みました。
夫・井上祐宏が買った本です。
彼は、月に十冊以上の本を買って読むので、家にはどんどん溜まっていきますが、私が読む気になるものは多くありません。
ただ、この本を読んでから、彼は「最近、なんとなく体調が良くなかったのは、自然が足りなかったんだ!自然からしか得られない必須元素があるんだ!」と何度も話していました。
昔から、彼の持論は、
『手ごたえのある人と出会い続けることと、大自然とともにあること。この2つをやり続ければ、人は成長し続けることができる!』でした。
そんな彼も、このところ通常の仕事に加えて、末期がんの母親のケアのため、埼玉県にある施設に毎日通っていることもあって、時間の余裕もなく疲れがたまっていたようです。
そんなとき、この本と出会って「自然が足りなかった!」ことに気づき、明治神宮へ行ったら頭がすっきりして体調がよくなったのだとか。
この本では、現代人が体調を崩し、病気になる原因のひとつは『自然が不足している』ことなのだと書いています。
私自身も、どこが悪いということは全くないのですが、疲れやすかったり、もやっとした「体のすぐれない状態」があったりします。
改善するヒントになればと思って、この本を読んでみることにしました。
『自然欠乏症候群』とあるのだから、「ともかく自然に触れましょう!」と書いてあるかと思ったのですが、少し違いました。
それは、第3章の「自然欠乏症候群」チェックリストからもうかがえます。
【チェック1】日の出と日没を意識して生活している
【チェック2】木材など自然素材の住宅に住んでいる
【チェック3】静寂さや、自然の音などを感じやすい場所で活動している
【チェック4】自然の香りを実感しやすい環境で活動している
【チェック5】綿や麻、絹など自然素材の衣服を着ていることが多い
【チェック6】携帯電話やパソコンに接することが少ない
【チェック7】長時間の自動車運転や電車通勤(通学)をしていない
【チェック8】主に自然食を摂取し化学薬品は摂取していない
【チェック9】飲料物は、自然水や有機栽培などでつくられたものである
【チェック10】電気毛布や電子レンジなど、電気製品は用いていない
【チェック11】日常的に森林浴、日光浴などをしている
【チェック12】化学薬品を塗布または吸入していない
(追加項目)
【チェック13】一日の中で、土や砂浜、芝などの上を歩くことがある
【チェック14】四季を意識した食事、行動をとっている
どうでしょうか?
これは項目を書き出しただけで、本にはそれぞれに細かい記述があるのですが、それでも都会で暮らしていると、どれも難しいですよね(^^;>
私の周りには、田舎と都会の二拠点生活をする人も多くいますが、私の好みではないので今後もそれはないでしょう。
でも、文明生活が捨てられない私でも、意識を向ける(まさにコンシャスライフ!)ことで改善できそうな点はあります。
本にも書いてありますが、「まず、気づくこと」が大切なのだと思います。
自分が自然から離れた生活をしていると気づくこと。
自然を感じる生活サイクルを整えたり、自分が口にするものを意識すること。
そして、意識的に自然を感じる時間をつくること。
そんなことからスタートできるのではないかと思います。
また、とても興味深かったのは、西洋の『ネイチャー』と日本人の『自然』という概念の違いでした。
西洋思想での『ネイチャー(自然)』は創造主(神)の作り出したものであり、その中心にあるのが人間。
だからこそ、西洋における自然は克服できるものであり、克服すべきもの、という世界観を持っている。
↑ヴェルサイユ宮殿の庭園です(自然を支配しようとしている感じ)
でも、日本の自然観は、『自然』とは神そのものであり、人間は自然物のひとつだという実感がベースにある、と書いてありました。
↑日本庭園のイメージです(自然に包み込まれている感じ)
確かに、西洋思想の「自然は克服すべきもの」という世界観が、『科学』を生み出したとも言えます。
日本も昭和の時代は、科学を信奉して、高度経済成長してきたのかもしれません。
でも、平成の時代になってバブル崩壊と自然災害。。。
これは、人生の方向転換と同じく、時代の方向転換だったのではないでしょうか。
そして、令和の時代は?
本には、こんな記述があります。
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西欧文化にとっての「自然欠乏症候群」は、環境としての自然不足に対する警鐘かもしれません。しかし、日本人にとっての自然欠乏は、根源的な欠落感をもたらし、一層根深い打撃を与えるものといえます。
環境としての自然。人として自然であるということ。自然に対する畏れと敬い。それらが欠けることが心身を損なうものだということを、あらためて実感してほしいと思います。
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私は、日本という国に生まれて育ってきたという現実を作ってくれた潜在意識に、とても感謝しています。
そして、『科学』を否定するのではなく肯定したうえで、次の自然とともにあるというステージへ方向転換していくという時代に生きていることも。
それらを全部、楽しんだうえで、未来を創っていきたいと思っています。
最後に、本に掲載されていた素晴らしい詩に関する文章を紹介します。
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ある日、目に飛び込んできたのが、ある新聞広告でした。
そこには、決意を込めた文字で次の詩が書かれていました。
あなたは文明に麻痺していませんか
石油と水はどっちが大事ですか
車と足はどっちが大事ですか
知識と智慧はどっちが大事ですか
批評と創造はどっちが大事ですか
理屈と行動はどっちが大事ですか
あなたは感動を忘れていませんか
あなたは結局何のかのと云いながら
我が世の春を謳歌していませんか
それは、日本を代表する脚本家、倉本聰さんがシナリオライターと俳優の養成機関「富良野塾」を開設したときの詩(起草文)でした。
(略)
私はこの詩に、自分の方向を定める3つの要素を加えました。
薬品と食品はどちらが大事ですか
工業と農業はどちらが大事ですか
治療と予防はどちらが大事ですか
そう、重要なことは「何が大切なのか・選ぶべきは何か」に気づき、選ぶこと。そして、選ぶときは何を基準にするかを問いかけること。すなわち「優先順位」をつけることにあるのです。
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確かに、石油や車、薬品や工業、治療も大切だと思います。
私も必要なときには、使います。
でも、問題なのは「無意識に選ぶこと=麻痺していること」ですよね。
「自然が欠乏している」と感じても、「時間がない」「余裕がない」という理由で後回しにしているとしたら、それは、「意識的に選択していない」のだと感じました。
意識的に自然と向き合うこと、そして『自然に生きるということ』をこれからも考え、行動していきたいと思いました。