今日はコンシャスライフとは直接関係のないお話しになります。
昨日、夫の恩師にあたる方の訃報が、インドから届きました。
恩師の名はスワミ・サティヤティルス師。。。インド人の導師(グル)です。
夫・井上祐宏とスワミ・サティヤティルス師
私も何度かお会いしていますし、インドにある彼の瞑想キャンプに滞在したこともあるので、「あぁ、もうスワミジ(*1)には会えないんだな」と思いました。
(*1)スワミジとは、「スワミ」が「教師」で「ジ」が「◯◯さん」のような意味だそうです。夫がそう呼ぶので、私もそう呼んでいました。
夫・井上祐宏(いのうえゆうこう)は、17歳のとき精神世界にふれて、Osho(和尚:旧名・バグワン・シュリ・ラジニーシ)のことを知りました。
こちらがOsho(和尚:旧名・バグワン・シュリ・ラジニーシ)
大学4年のとき、内定が決まっていたにもかかわらず、それを断って、Oshoのコミューンがあった米国オレゴンを訪ねます。
そこから、ニューヨークへアメリカを横断し、その後、インドやネパールを放浪したらしいのです。
そこで出会ったのが、スワミ・サティヤティルス(スワミジ)でした。
若い頃のスワミ・サティヤティルス師
私は、夫と出会ってから断片的にその頃の話を聞いています。
今回、スワミジの訃報により、彼は自分のブログに当時のことを書いてくれました。
彼が出会った何人かの覚醒者との話なので、興味のある方にはすごく面白い話なのですが、ひとつ問題があります。
全体像が掴みにくい…という問題です。
そこで、僭越ながら彼のブログをこんな順番で読むと良いかな、と思う流れをご紹介します。
ただ、彼のブログ紹介だけでは申し訳ないので、最後に、そこから私が感じたことを書きます。
覚醒者とかに関心のない方は、彼のブログは読まずに先に進んでいただいても大丈夫です\(^o^)/
まず、彼は十数年前に『注目すべき覚醒者との出会い』という覚書を書いたそうです。
今回のスワミジの訃報でそれを思い出し、ブログで一部を紹介していますが、それは途中からの話なので混乱するんですよね(^^;λ
次の順でブログを読むのが一番わかりやすいと思います。
まず、2017年1月13日のブログ
『悟った人ってどんな人?私の人生の封印を解く\(^o^)/』
https://ameblo.jp/housyasenhibaku/entry-12237663195.html
2017年、彼は1月4日から14日までインドへ一人旅をしました。
Oshoのエネルギーを感じての旅なので、その頃のブログでもいろいろ触れていますが、まず、読むならこの日がお薦めです。
ここから、『注目すべき覚醒者との出会い』ネパールでのチンマヤ師との話が始まります。
ネパールでのチンマヤ師と夫(若い!)
次に、2017年1月17日のブログ
『「私はあなたを食べます!」Oshoに四回質問した30年前の出来事…』
https://ameblo.jp/housyasenhibaku/entry-12238943329.html
ここでは、チンマヤ師との出会いの直前に起こったOsho(当時はバグワン)への四つの質問の物語です。
Oshoのコミューンがあった米国オレゴンで
そして、2017年1月19日のブログ
『今日は恩師の命日\(^o^)/更なる人生の封印を解く!なぜインド人を日本に』
https://ameblo.jp/housyasenhibaku/entry-12239509093.html
1月19日はOshoの命日ということで、『注目すべき覚醒者との出会い』のつづきを書いています。
ここで、昨日亡くなったスワミ・サティヤティルスとの出会いと気づき、そして彼を日本に連れてくるまでの話を書いています。
このブログで最後に(続く)と書いているので、続きが読めると、当時楽しみにしていたことを思い出しました。
それなのに、続きが書かれたのが3年以上経った昨日だったのですから、ひどいですよね!
ということで、
続きは2020年1月31日のブログ
『恩師の訃報が…染みわたって来る…何かが…かけがえのない存在が肉体を離れた時…』
https://ameblo.jp/housyasenhibaku/entry-12571506328.html
ここでは、スワミジを日本に連れてきてからの話。
そして、雨宮第慈(あまみやだいじ:ダンテスダイジ)氏との出会いの話。
この後も、彼に『注目すべき覚醒者との出会い』があったことを私は知っていますが、それがいつ公開されるのかはわかりません。
でも、「まとめて1冊の本にしてほしいなぁ」というのは、私の昔からの願いなんです!!
さて、最後にこれらを読んでの私の気づきを。。。
それは、2017年1月19日のブログ『今日は恩師の命日\(^o^)/更なる人生の封印を解く!なぜインド人を日本に』を読んだときのことです。
スワミジと2人のインド人の4人で旅をしたことが書かれています。
そこで、彼は、自分の中の”日本人マインド”を見つめます。
「とにかく周りを気遣って、何か手伝いをしなければならない」という強迫観念。
招かれた家で他のインド人が踊りだしたので、自分も周りに合わせたら「お前はエネルギーを感じないで動いた。だから場が乱れた」と言われたり。
一緒にいるのが誰かわからないのですが、こんな姿で歩いていたのでしょうね。
彼は、大学時代にOshoの弟子(サニヤシン)になり、オレンジ色のローブで東京の街を歩いていたほど、一般的な日本人からは浮いた存在だったと聞いています。
その彼が、インド人の中に入ったとき、浮かび上がってくる”日本人マインド”に振り回されている。
もちろん、”日本人マインド”を手放し、自己を明け渡すことで、マインドを超えた何かとふれあう物語なのですが、
若い頃に、そういう彼が存在していたということ自体が驚きでした。
私自身も、ずっと前から今の私の状態だったかのように思われることがよくあります。
自分としては、あっちにぶつかり、こっちにぶつかりしながら、今の自分になったと思うし、これからも、あちこちぶつかりながら変化していくのだと思っています。
それなのに、夫を見るときは、つい、昔からずっと”こういう人だった”ように感じてしまうんですね(笑)
彼にも、人から嫌われないように周りを気遣っていた時代があったこと。
そして、内側からやってくる自分自身の声を大切にする生き方にシフトしたこと。
それはまさに、今、私がそうなっていこうと思っている方向性です。
私は、3人のインド人と放浪するなどという苦行は避けると思いますが(笑)、
その感覚は、夫から得られるものと思っています。
そのために、今このときに、3年前の彼のブログを読む現実化が起こったのでしょうから(^o^)>
今が、まさに最善のタイミングだったのでしょう。
その機会を作ってくれた亡きスワミジに、深く感謝していますm(_ _)m
ご冥福をお祈り申し上げます。